ただのシングルマザーが 人生変えたきっかけ

 

こんにちは!まみです!

 

世界中がコロナにおびえていたあの頃・・・

 

コロナ禍がなければ、

気付かずに済んだかもしれない夫婦のほころびが

突然、大きな穴となり

私たち家族を翻弄することになったのです。

 

今でこそ、将来の不安もすっかり消え

子どもたちのそばで仕事ができる

在宅ワークの幸せを噛みしめています。

 

しかし、ほんの数か月前までは

「子どもたちをきちんと育てることができるのだろうか」と

並んで眠る3人の息子たちの姿を見ては

不安で泣きたくなるような、貧困生活を送っていました。

 

結局、コロナ禍でできた私たち夫婦のほころびは

ほどけたまま今に至りますが

 

別居したばかりの時は

経済的なことを考えて、

子どもたちのためにも、離婚を思いとどまるべきでは等

様々なことが頭に浮かび

気持ちがどん底まで落ち込んでいました。

 

別居してみると、たちまちお金の問題にぶち当たり

子どもたちの欲しいものどころか

学校で使う学用品をそろえる事すら難しい現実。

 

環境の変化から、息子たち不登校になってしまい・・・。

家にいてもケンカが絶えず

仕事に行けるような状況ではなくなりました。

 

もちろん、収入は激減し

子どもたちへの申し訳なさを抱えて過ごす日々でした。

 

今日はそんな私の起業ストーリーを紹介します。

最近は在宅で仕事をし子供たちの様子を見ながら仕事ができたり収入や将来への不安も解消され幸せな毎日を送っています。しかし、数か月前まで将来どうなるのか不安で不安で泣きたくなるような貧困生活を送っていました

今でこそ言えますが数か月前まで私たち夫婦の別居により子供が不安定になってしまい

不登校、ケンカ、仕事もパートでしたが学校にいけないほどになってしまい、別居したのは間違いだったのだろうかまた夫と暮らしていかないといけないのだろうか、と心は落ち込んでいました

もちろん収入は不安定で子供の欲しいものや学校の道具も揃えることが難しかったりつらい思いを子供にもさせており不甲斐なさを感じていました。今日はそんな私の起業ストーリーを紹介します!

2020年春

私は夫と小学生の息子3人と5人家族でした。

あれは2020年コロナ禍の春でした。私以外の夫、小5の長男、小3の次男、小1の三男は厳戒下のコロナ禍で学校も仕事も行けず友達とも遊べず、スーパーにもどこにも行けず4人で自宅で3か月以上過ごしていました。

今考えると異常ですが当時はみんなつらい思いで自宅で過ごしていましたよね。私は車で配送の仕事でしたので毎日1人仕事に向かっていました

しかし、仕事から帰ってくると毎日息子の誰かが大泣きで目を腫らしておりその訳は少しの事で父親から人格を否定するような罵倒を受け私が帰ってもしばらく立ち上がれないほどでした。

この件に関しては私と夫との夫婦関係も同じで口論や私への罵倒は日常でした。

しかし、息子への言いよう、また息子を叱りながら「子育てした母親」への言いように

かねてから何度も「離婚したいけど子供が成人したら」と思っていた私はついに夫にこう言いました。

「これ以上息子たちを傷つけるなら離婚したい」

「えっ!」

夫は寝耳に水でした。冗談とも本気ともとれ、しかし簡単に人は変わることもなく何度か私は「離婚だ」と伝えましたが自分の中で準備ができず、年末には子供たちを連れて家出しようと決意したのでした。

2020年12月

12月になり、私はひとりでアパートを借り、電化製品をそろえ淡々と家出の準備をしていました。子供たちにもアパート巡りを一緒にしたものの、きちんとしたこは伝えませんでした。夫に伝わってしまったら計画がダメになるからです。

夫が夜勤の冬のある日、妹に来てもらいました。子供たちに「引越すからね」と話し、

妹と二人でひたすら荷造りし、翌朝、引っ越し業者と住み慣れた家を出て、校区の違う古いアパートに引っ越しました。

クリスマスのすぐあとでしたが、なんの幸せさもなく、住む家の殺風景さと友達がいなくなり学校が変わるという子供たちを心配させたくありませんでした。

父親と住まないというショックも与えたくありませんでした。夫には「必ず会わせるから年明けまで連絡しないでほしい」と置手紙をしましたが、仕事から帰宅後、号泣で電話がかかりました。しかし、私は一切感情的になることはありませんでした。何年も耐えてきたのだからしょうがない、と思っていました。夫より子供の心を気にかけていました。そして住まいが見つからないことを必死で祈っていました。

2021年1月

冬休みがあけて子供たちは新しい小学校に通いだしました。緊張していたけど、歓迎してもらい、友達の話もよくしてくれました。ただ三男は父親がいないことを恥ずかしがり、私とほかの兄弟たちの事を責めるようになりました。狭いアパートの室内で兄弟3人はしょっちゅうぶつかりケンカし朝から晩までケンカや泣くことばかりでした。

私はいつもケンカを力ずくで止めたり泣いている下の子を慰めていて、ホッとする時間は一瞬もありませんでした。

「家出したのは失敗だったのか」と思う時もありましたが2度と戻るつもりはありませんでした。子供たちはケンカばかりのせいか、時々学校に行くのを嫌がるようになり時々休むようになりました。

もともと職場は「正社員になってもいい」と言ってくれていましたがコロナで景気が悪くなったこと、我が家の子供が不安定なこともありパートのままで働くことになりました。元旦那からは養育費はありましたが、3兄弟を育てることができるのかずっと不安でした。

2021年11月

この頃から収入を増やすことを考え始めました。アルバイトのかけもちも考えましたが、実家に頼れず、子供がケンカばかり、泣いてばかりなのにこれ以上家をあけることはできないとあきらめました。

家で仕事はできないか。クラウドワークス、内職作業、ポイ活物販等考え登録したり行動しましたが、努力と収入があまりに見合わなく諦めました。ネットワークビジネスも活動してみました。しかし、結局自分は吸い取られているだけなのではないかという疑惑しか生まれなくなりこれも諦めました。

2022年4月

ぼんやりとInstagramで「副業 シングルマザー」で検索をしたときにコンテンツビジネスをしているメンターに会い、自分が人生を変えれるチャンスだと思い、コンテンツアフィリエイトの世界に飛び込みました。スクールを販売するアフィリエイトでした。

自分なりに習ったとうりに起業してビジネスをしていました。しかし、なかなかうまくいかず、本当にこのままでいいのかわからずメンターにも相談しにくくなっていました。それでも同期と励まし合いながらビジネスを続けていました。

2022年10月

ある日、以前から知っていた女性起業家の話を聞く機会があり知りたかったことを話されており、ずっと張り付いてその方の情報をとりにいっていました。

自己流でその方のおっしゃっていることを身に着けようと「何か変化したい、これまで頑張ってきたことを無駄にしたくない私の起業の目標はごっこではない。」

「息子たちを育てていくこと、自分の人生をあきらめないこと。同じように必死に頑張っているお母さんを食い物にするような仕事はしたくない。お客さんを幸せにしたい。お客さんの期待に応えられる経営者になりたい」自己流で真似て、自分の中の殻を壊しました。

勇気をだしてその起業家さんの元で学ぶことにしました。今までの学びと全く違い、内容も違うが、ただのパズル合わせのビジネスではなく、人生を豊かにする教えをいただいて、現在も学び続けているしお客様がおられる限り、一生学んでいくことが大事だと心から感じています。

今ではSNSでお客様の目に留まり、お客様の幸せは当たり前、お客様のご家族、周囲の方も幸せになることを目標に、ご希望のクライアントさまにSNS集客・起業のコンサルティングをしています。

ただ集客をしたいという方ではなく、お客様の人生を変えたいという方に届けたいです。

たくさんの方が楽しく見ているSNSの裏ではビジネスを必死でしている方がいます。お客様の多いお店にはSNSが必須であり、お客様をファンにすることができています。私はクライアントさま(お店)とお客様をつなぐSNSの橋を架けるお手伝いをしています。

SNSは発信すればお客様の元に届くのではなく、ビジネスと同じで添削・バージョンアップをすること・チャレンジしていくことが大切です。発信の仕方・伸ばし方はもちろん添削・フィードバックを大切に、お客様に伴走していくことを大切にしています。

遠野まみ